中國(guó)語(yǔ)が解らない人が中國(guó)人とコミュニケーションを取る時(shí)の注意と方法
中文門外漢和中國(guó)人交流時(shí)應(yīng)采取的方法及注意點(diǎn)
接客業(yè)をされている方は、外國(guó)語(yǔ)が堪能でなくても接客しなければならない場(chǎng)面に出くわす事は多々あると思います。英語(yǔ)だったら中學(xué)、高校までで習(xí)った単語(yǔ)を並べてジェスチャーで頑張れば何となく通じたりするものですが、それ以外の言語(yǔ)になると、ほとんどの方はお手上げでしょう。
如果是在服務(wù)業(yè)工作的話,就算你不精通外語(yǔ),很多時(shí)候也不得不面對(duì)外國(guó)客人。如果是英語(yǔ)的話,只要擠出些初高中時(shí)學(xué)到的單詞,再努力比劃比劃,多少能說(shuō)通,可對(duì)于英語(yǔ)以外的語(yǔ)言,大部分人都束手無(wú)策吧。
ここでは、中國(guó)語(yǔ)が解らない貴方のために、中國(guó)人に聲を掛けられてしまった時(shí)の急場(chǎng)しのぎの方法をお伝えいたします。
今天,我就給不懂中文的各位傳授下經(jīng)驗(yàn)——遇到中國(guó)人向你搭話如何隨機(jī)應(yīng)變。
中國(guó)人には漢字が通じない
跟中國(guó)人交流時(shí)用日語(yǔ)漢字行不通
「だって漢字って中國(guó)から來(lái)た文字でしょう?」と思われるでしょうが、不思議なことに通じないのです。
可能你會(huì)覺(jué)得:“漢字不是從中國(guó)傳過(guò)來(lái)的嗎?”說(shuō)來(lái)也怪,用漢字就是無(wú)法溝通。
日本の漢字の歴史
日本漢字的歷史
日本に漢字が入ってきたのは5世紀(jì)頃だと言われています。5世紀(jì)というと「古墳時(shí)代」の半ば。その頃はきっと日本と中國(guó)は全く同じ文字を使っていたのでしょう。しかし、長(zhǎng)い歴史を経て、皆さまもご存知のように日本の文字は「ひらがな」や「カタカナ」を生んでいきました。
據(jù)說(shuō),漢字傳入日本是在公元5世紀(jì)。公元5世紀(jì)也就是古墳時(shí)代中期。那個(gè)時(shí)期日本肯定用的是和中國(guó)完全一樣的文字吧。不過(guò)眾所周知,隨著歷史的發(fā)展,日本文字中又出現(xiàn)了“平假名”以及“片假名”。
それと同時(shí)に漢字自體も変化しています。例えば「國(guó)」と「國(guó)」のように現(xiàn)在皆さまが知っている漢字にも舊字體と新字體がありますよね。そんな風(fēng)に変化していった日本の漢字は、だんだんと「和製漢字」になっていったのです。
與此同時(shí),漢字本身也在發(fā)生著變化。各位都知道現(xiàn)在的漢字中既有舊字體也有新字體對(duì)吧,就像“國(guó)”和“國(guó)”這樣。如此變化著的日本漢字逐漸向“和制漢字”靠攏。
中國(guó)の漢字の歴史
中國(guó)漢字的歷史
日本と同じように中國(guó)の漢字も歴史と共に変化していきました,F(xiàn)在、中國(guó)では簡(jiǎn)體字(かんたいじ)と繁體字(はんたいじ)という2つの字體が使われています。中國(guó)における繁體字は、日本における舊字體と似たようなものです。(中國(guó)は地方によって違うので、全く同じというわけではありません。)
和日本一樣,中國(guó)的漢字也隨著歷史的變化而變化著。如今在中國(guó),簡(jiǎn)體字和繁體字都有人用。中國(guó)的繁體字和日本的舊字體比較相近(在中國(guó)根據(jù)地區(qū)不同寫法也可能不同,所以并非完全一樣)。
また、簡(jiǎn)體字の方は日本の新字體のように、漢字が簡(jiǎn)略化されていった物です,F(xiàn)在、中國(guó)ではほとんど簡(jiǎn)體字が使われています。
另外,簡(jiǎn)體字就如日本新字體一樣,是漢字簡(jiǎn)化后的產(chǎn)物。現(xiàn)在在中國(guó),大部分地區(qū)使用簡(jiǎn)體字。
日本の常用漢字と中國(guó)の簡(jiǎn)體字は違う
日本的常用漢字有別于中國(guó)的簡(jiǎn)體字
例えば、これは何?と中國(guó)人に聞きたかったとします。簡(jiǎn)體字では、「何」を「什么」と書きます。これを日本人が見(jiàn)ても何の事だかさっぱり解りませんよね。「何」だけでもこんなに違うのですから、他の単語(yǔ)はどれだけ違うのか想像がつくでしょう。
舉個(gè)例子,如果你想問(wèn)中國(guó)人“これは何(這是什么)”,那么,在中文簡(jiǎn)體字中“何”要寫做“什么”。這個(gè)日本人看了肯定是一頭霧水吧。光“何(什么)”就如此不同了,其他單詞有多大差異便可想而知。
しかも、日本人が使っている漢字の「単語(yǔ)」と中國(guó)語(yǔ)は意味の違う言葉がたくさんあります。これは有名な話ですが、日本の「手紙」は、中國(guó)では「トイレットペーパー」です。このように、「日本も中國(guó)も漢字の國(guó)だから」と筆談を試みても、中國(guó)人には意外と通じないのです。
而且,日本人使用的漢字單詞和中文意思有所出入的也很多。舉個(gè)很出名的例子,日本的“手紙(信)”在中國(guó)是“廁紙”的意思。如上所示,如果你覺(jué)得“日本和中國(guó)都是漢字國(guó)家”,因此嘗試用寫字去交流,事實(shí)上和中國(guó)人也是溝通不了的。
中國(guó)人とコミュニケーションを取るには
如何與中國(guó)人溝通
イラストと和製漢字で説明
通過(guò)畫圖,再加上和制漢字來(lái)進(jìn)行解說(shuō)
例えば、「電池」は簡(jiǎn)體字で「電池」と書くのです。これならば「電池」と書いても何となく意味が通じそうですよね。
比如,“電池”簡(jiǎn)體字寫做“電池”。這個(gè)的話,就算寫成“電池”,意思多少還是通的吧。
この商品にはこの電池は使えないのです。
這個(gè)商品放這個(gè)電池用不了。
と言いたい時(shí)は、こんな風(fēng)に書いてみます。
想表達(dá)這個(gè)意思的時(shí)候,試著這么畫下。
もちろん、一生懸命書きながら説明もします。
當(dāng)然,在努力畫畫的同時(shí)也要附加說(shuō)明。
この商品にはこの電池は使えないのです。
這個(gè)商品放這個(gè)電池用不了。
と言いながら乾電池の絵にバツをつけて
邊說(shuō)邊在圖中干電池處打上叉叉,
こちらの丸い電池が入るのですよ。
可以把這種圓電池放進(jìn)去哦。
と言いながら指でボタン電池の大きさを示したりしてみましょう。
邊說(shuō)邊試著用手指來(lái)比劃下紐扣電池的大小。
漢字は崩して書いてみる
試著將漢字拆開(kāi)來(lái)寫
簡(jiǎn)體字は繁體字を簡(jiǎn)略化した物なので、我々が知っている「漢字」を略したような形をしています。なので、中國(guó)人に漢字を書いて見(jiàn)せる時(shí)は、漢字の部首を繋げてみたりして雑に書いてみます。そうすると奇跡的に簡(jiǎn)體字に似たような字が出來(lái)上がる事があるのです。
簡(jiǎn)體字是繁體字簡(jiǎn)化后的產(chǎn)物,跟我們所熟知的“日語(yǔ)漢字”簡(jiǎn)化后的差不多。因此,寫漢字給中國(guó)人看時(shí),不妨連著偏旁潦草的寫下。這樣一來(lái),有時(shí)就能意外的寫出和簡(jiǎn)體字相似的字來(lái)。
おわりに
結(jié)束語(yǔ)
後は「伝えたい」という気持ちとジェスチャーです。最終的には気持ちが全てという事でしょう。
還有就是“想要傳達(dá)給對(duì)方”的態(tài)度及手勢(shì)了。說(shuō)到底,這心意還是最重要的。
上にも書いたように中國(guó)語(yǔ)の漢字と日本の漢字は意味が全く違うことがほとんどです。
正如上面所說(shuō),大部分中文漢字和日語(yǔ)漢字意思是完全不同的。
知っている漢字を並べたら、意味が通じないどころか相手を不快にさせることも有りえます。また、接客では、その場(chǎng)では解ったふりをされて後からクレームになる事も有りえます。
如果把知道的漢字一個(gè)個(gè)列出來(lái),不僅意思不通,還有可能引起對(duì)方的不快。另外,如果是服務(wù)業(yè)的話,即便當(dāng)時(shí)看起來(lái)像是解決了,也有可能在事后接到投訴。
中國(guó)人とコミュニケーションを取る時(shí)は、漢字の筆談に頼らない心構(gòu)えで挑みましょう。
和中國(guó)人溝通時(shí),不妨挑戰(zhàn)下自己,試著撇開(kāi)用漢字比劃這方法吧。 |